IAESTE  2001年度研修報告書

  1. 研修の概要 (研修先機関、期間、就業時間、賃金、待遇、仕事の日程と内容)
  2. 研修先の人間関係および管理形態 (職場での生活、施設、気づいた点)
  3. 研修の具体的内容
  4. 渡航前の準備費用 (交通機関、費用、保険、ビザ)
  5. 研修国のイアエステ委員会とその待遇 (研修国到着日から研修開始までの行動、現地委員会が用意した交流プログラム)
  6. 研修国での生活 (宿舎、言葉、生活水準、他の派遣研修生、その他)
  7. 研修の総括
  8. 来年度以降の派遣研修生へのアドバイス


注: 1DM は約55円(2001年6, 7月)

1. 研修の概要

研修国: Germany
研修地:
Kiel
研修先機関:

Universitaet Kiel
Lehrstuhl fuer Netzwerk - und Systemtheorie
Kaiserstr. 2
24143 Kiel

キール大学工学部門のシステム系の研究室。ディジタル信号処理がメインテーマで Speech Coding の研究が盛んである。
キール大学そのものは中世時代よりある古い大学だが、工学部門は1990年代に入って別の場所に新設された。建物や施設が新しく、研究員はそれぞれ自分の部屋を持っているので、大学というよりも企業の研究室のような雰囲気がある。

研修期間: 01.06.2001 - 31.07.2001

就業時間: 自由
Offer の Working hours per week の項目には38.5時間と書いてあったが、初日に教授に面会したときに、いつでも好きなときに来ていいと言われた。
大学の研究室は9:00-19:00の間に開いていたので、通常は10:30-18:30の間に研究室にいた。その間にメールを書いたりネット上で日本のニュースを見ていたりもしたので、実際の就業時間はもっと短かかった。

賃金: 1,100 DM / Month (宿舎代、交通費、食費、その他雑費を賄うだけの金額)
500 DMは DAAD (Deutscher Akademischer Austauschdienst、ドイツ学生交流団体)より、600 DM は大学より奨学金という名目で支給された。

待遇:
ロッカー及び、コンピュータのアカウント、メールアドレスを割り当てられた。
食堂は非常に小さなものだが利用できた。
歓迎パーテイー等の特別な待遇はなかったが、質問や要求をすればすぐに応えてくれたので困ることはあかった。

仕事の日程と内容:
6/1(Fr.)  研究室のメンバーの紹介、設備の説明
6/5(Tu.)  - 6/12(Tu.)  Speech Coding の書籍を読み Speech Coding に関する基本的な事柄の習得
6/13(We.) - 7/20(Fr.)  ある研究員のもとで、Speech Coding のデモンストレーションを行うWEBページをHTML及びJavaScriptを用いて作成
7/23(Mo.) - 7/27(Fr.)  HTMLコード及びJavaScriptコードのドキュメント作成、プレゼンテーション準備
7/30(Mo.)  プレゼンテーション、研修修了


2. 研修先の人間関係および管理形態

 研究室は学生、研究員および教授と秘書で構成されている。学生は共用のコンピュータールームで仕事を行い、研究員はそれぞれの個室とコンピュータを持っていてそこで仕事を行う。教授と秘書はすぐ近くの部屋にいて、常にコンタクトのとれる状況にある。
 研究室のどの人も親切でフレンドリーである。ときどきメンバーの誕生パーティーを開いていて教授や秘書も参加して世間話をしたりしている。ドイツの大学制度は日本の大学制度と異なりよくわからない面もあるが、日本の学士および修士が通常の学生で Diplom あるいは Dr. という肩書きがついた人が日本の博士あるいは研究員のような地位にいると思われる。詳しいことはわからないが、学生は研究室に所属しているという雰囲気はあまりなく、必要な仕事だけ済ませて帰っていく。日本では研究室にまだ配属されていない学生のような感じだと思う。研究室の Staff の項目にも名前はのせられていない。一方で、Diplom あるいは Dr. という肩書きのある研究員は個室を持ちかなり専門性の高い研究を行っている。週に一回、研究室内で研究発表のようなことを行っていた。学生の指導も行っているようである。
 全体的に、理系の研究室であるためか、日本と同様にどちらかというと真面目な性格の人が多いと思った。

 大学に食堂があり昼に営業していたが、非常に小さな食堂でメニューが少なく、食券をその日の朝の9時半までに購入しなければならないので利用者は少ない。(日本では、会社や学校の寮の食堂のようなものかもしれない)。教授はよく他の教授と食堂で昼食をとっていたが、研究員は研究員同士で必ず外に食べにいっていた。私もたいてい研究員と一緒に外に食べにいった。外で食べるところは、近くにいる港湾施設の大きな食堂、あるいはトルコのケバプ料理の立ち食いレストラン、アジアレストランといったところで、いずれも安く(5-10DM)食べられる場所だった。
 大学とはいっても工学部門だけ本部と離れた場所にあるために、小さな食堂と卓球台以外に特に厚生施設や運動施設はない。4, 5km離れた本キャンパスには、大きなグラウンドやテニスコート、体育館、総合図書館、大きな食堂、カフェ、書籍部、購買部といった一通りの施設がそろっている。体育館や図書館には学生でなくとも自由に入って利用できる。大学の本キャンパスは学生寮から仕事にいく途中にあったので、何回か立ち寄って食堂を利用した。

 ドイツの工学部門は最近になって新設されたところが多く、本部と離れていたり独立の組織であったりする場合が多いようである。そのため、一般の大学の施設を利用できないこともある。厚生施設面では見劣りはあるが、研究施設はたいてい新しく部屋は快適な環境である。研究員も20代、30代前半の若い人ばかりなので、いろいろと話もでき、良い研修生活を送ることができた。


3. 研修の具体的内容

Project:
Web-based Speech Coding Demonstration

いくつかの音声符号化方式によってエンコード及びデコードされた音声データの音質を簡単に比較、検討するためのWEBページを、HTMLコード及びJavaScriptコードを用いて作成した。

Speech Coding:
 Speech Coding は日本語では音声符号化と呼ばれている。下図は電話等で音声が入力されてからもう一方で出力されるまでの処理を簡単に示した図である。送信側でマイクを通して入力された人間の音声や周りの雑音はアナログ信号であるので、まずこれをサンプリング(連続したアナログ信号をある一定間隔で抜き出すこと、例えばCDのサンプリング周波数は44100Hzであるということはつまり、CDは(1/44100)秒の間隔で音楽を抜き出して録音されている)及び量子化(音声の振幅、すなわち音の強さをディジタル値にすること、例えばCDは一つの音は16bitの情報であらわされている)によってディジタル信号に変換(AD変換)する。例えばある電話システムでは8KHzでサンプリングし、一つの標本につき8bitを割り当てたとすると、AD変換された信号は64kbpsとなる。この信号はまだサイズが大きいので音声符号化によってサイズをさらに縮小する (Encoding)。例えば5.6kbpsにして信号を伝送線(携帯電話では無線)に送りだす。受信側では符号化された信号を再び元の信号に戻し (decoding)、アナログ信号に変換してスピーカーから音声として出力する。


 音声符号化は音声信号を圧縮するだけでなく、ノイズを除去する役割も果たす。つまり受信される音声がクリアになる。
 音声符号化の方式には非常に多くの種類がある。有名なものには欧州の携帯電話網で使用されているGSMがある。

仕事内容:
 Speech Coding は私の専門外の分野だが興味もあったので、はじめの一週間は Speech Coding の教科書を図書室で読んで基本的な事柄を学習した。結果、非常に多くの方式があることに驚く。個々の方式はそれぞれ長期にわたる研究に値するもので、2ヶ月の研修では Speech Coding の研究に携わることは不可能である。
 そこで、Speech Coding について学ぶことも副題としながら、多くある Speech Coding 方式により符号化された音声の質を比較するためのデモを作成することになった。
 Speech Coding すなわち符号化を行うソフトウェアを Coder という。Coder はかなり複雑なソフトウェアであり、使用者はソフトウェアを熟知している必要があるために取扱いは困難だった。また、音声が格納されている音声ファイルの形式も統一したものがなく、取扱いは大変だった。そこで、初心者でも簡単にそれぞれの Coder に触れ音質を比較したり、またその解説を読んだりできるようにすることを目的とした。誰でも簡単に利用できるように、WEB上に実現することにした。
 仕事はある一人の研究員について行った。WEBページの仕様を出してもらいそれが実現可能か不可能か判断し、その都度細部を相談しながらページ作成を行った。必要な原稿、音声ファイル、ソフトウェアをすべて提供してもらい、Sun Microsystems のワークステーションで作業をした。仕事のプロセスをまとめると次のようになる。

1. WEBデザインの検討

2. 必要なグラフィックの描画 GIMP, Coreldraw を用いて

3. HTMLでテキスト、グラフィック等の入力

4. HTMLでは実現できない機能をJavaScriptで記述

5. サンプル音声ファイルを元にそれぞれの符号化方式で符号化された音声ファイルの作成

6. Internet Explorer, Netscape で動作のチェック

WEBページ作成完了後に、簡単なドキュメントを作成し、最後に25分程度の英語のプレゼンテーションを行った。プレゼンテーションでは、仕事の背景、目的、HTML、JavaScriptコードの説明をし、作成したWEBページの使用法のデモを行った。

プレゼンテーションのスライド(HTML)
作成したWEBページ

仕事環境:
 ほとんどの作業を Sun Microsystems のワークステーションで行った。言語が英語の環境であったからである。Windows はドイツ語版のみであったので一部のソフトウェアを必要なとき以外は使用していない。HTML, JavaScriptコードのリファレンスは特になかったが、すべてのマシンはインターネットに接続されていたので、WEB上でリファレンスを探してコードの書き方を参照した。Sun のマシンは日本語フォントもインストールされていたので、日本のサイトを最大限に活用することができ仕事がはかどった。
 プレゼンテーションはノートパソコン、デモ用のスピーカーなど必要な機材をすべて用意してもらい、講義室で行った。Windowsはドイツ語版なのでPowerPointは使用せずに、HTMLで擬似的なスライドを作成してプレゼンテーションを行った。


4. 渡航前の準備費用

渡航費用:
British Airline, 3 months fix, economy
Narita - London - Hamburg
Hamburg - London - Narita
途中入国可能、帰国時に英国に入国し一週間滞在した。
学生割引、空港使用料込みで約136,000円(5月29日出発)

海外旅行保険:
安田火災海上保険株式会社、加入期間は5月29日から8月8日までの72日間、
死亡・後遺障害2,000万円、治療費用800万円、傷害責任1億円、救援者費用600万円、携行品40万円で
保険費用は31,760円

ビザ、労働許可:
3ヶ月以内の入国ならばビザや労働許可の取得の必要はなし。
また、3ヶ月以内ならば現地での住民登録も必要なし。

お金:
トラベラーズチェック購入の手数料、City bank World Cash 登録の手数料 

5. 研修国のイアエステ委員会とその待遇

研修開始までの行動:
 研修開始は6月1日からだったが、二日前の5月30日にキールに着いた。渡航前には研修先の研究室の秘書さんとメールでやりとりをしていたので、現地に着いた日には秘書さんに駅まで車で迎えにきてもらい学生宿舎まで連れていってもらった。荷物を降ろして管理人から宿舎の説明を受けた後、バスに乗って街まで行き、一ヶ月のバスチケットを購入したり、通貨の両替をしたりした。商店街を歩き街の雰囲気を味わったりした。翌日はバスで自分で研修先まで行き、教授に挨拶をした後、再び街を散歩した。二日前に着いて時間に余裕があったので、街をかなり見学できたと思う。

現地委員会が用意したイベント:
 私の Reception Committee はイアエステの委員会ではなく、キール大学の留学生オフィスのようなところ(Akademisches Auslands Amt)だった。(キールにはイアエステの委員会はない)。Mr. Ben Sien が一人で受け入れの業務をしていた。彼は留学生の相談や留学生関連業務が専門なので、話しやすく必要なものを準備してくれていた。(バスの時刻表、街の地図、キャンパス地図など)。
 イベントとしては、現地の留学生向けに用意している格安の小旅行を斡旋してくれた。5月上旬から7月中旬にかけて毎週休日に行っているもので、市内を短時間でまわるガイドのようなものと、少し遠くまでバスで旅行するものがあった。市内をまわるものは博物館や植物園に行くだけなので参加しなかった。研修先での2回目の週末の6月9日に西海岸(ドイツ北部の海岸)をバスでまわる小旅行に参加した。費用は30DMで、Husumという小さいが美しい街、海洋博物館、西海岸を見学できた。現地で勉強している留学生向けなのでガイドはドイツ語のみだったが、ときどき引率者である先生が英語で解説してくれた。
 通常の小旅行とは別に6月28日から7月1日にかけてベルリン4日間の旅があり、Mr. Ben Sien が強く勧めてくれたので参加した。本来は希望が殺到し相当前に締め切られていたのだが、研修生は別扱いで参加することができた。費用は190DMで往復のバス代、三日間の宿泊費、食事代が込みだった。ドイツでも格安の値段だと思う。ガイドはドイツ語のみでほとんどわからなかったが個人旅行では体験できない旅行をできたと思う。ベルリン市内をバスでまわったり、夜には相部屋になったロシア人、ラトビア人の人と一緒に街を歩いたりした。

その他の委員会のイベント:
 ヨーロッパ各国、特にドイツ国内ではいろいろな都市の委員会が週末に主催する泊りがけの Weekend Event というのが盛んで7月から9月にかけて各地で行われている。IAESTE だけではなく、AIESEC (IAESTEに似た交流団体で、主に経済系の学生を対象にビジネスやIT部門の研修派遣を行う)と共同で開催する場合も多い。7月13日〜7月15日に Hamburg で、7月27日〜7月29日に Aachen で Weekend Event に参加した。100人をこす研修生が集まる大イベントである。昼間は街を歩いて観光をし、夜は飲んだり踊ったりする。寝る場所は小学校の体育館やテントの中で、各自で寝袋を持参して寝る。たいてい男女関係なく入り乱れて寝ている。全体的にはヨーロッパ人が多いが世界各国からの研修生がいるので、一晩で何十カ国もの人と話すというすばらしい経験ができた。

問題点:
 旅行やイベントには満足できたが、reception committee が留学生オフィスであるために、学生同士で集まるミーティングはなく、はじめややものたりなさを感じた。
 そこで、AIESECのオフィスを見つけ毎週AIESECのミーティングに参加することにした。AIESECは学生メンバー10数人によって運営されており、大学構内の一室にオフィスを設けて活動を行っていた。AIESECでは受け入れ研修生の宿舎、交通チケット、書類、生活の相談に至るまで一括して世話をしていた。誕生日パーティーも催していた。

 Mr. Ben Sien のいる留学生オフィスは研修先とは離れた本キャンパスにあり、オフィスの開いている時間も限られていたので、生活一般に関わる相談は、研修先の研究員や学生宿舎での他の学生にした。メールで Mr. Ben Sien に質問することもできたが、身近にいる人にその場で相談した方が手っ取り早いのでそうしてしまった。

 Mr. Ben Sien は親切な人ではあったが学生ではなく、オフィスの空いている時間にしか会えないので、いつでも相談できるという雰囲気ではなかった。できれば、到着日から出発日まで身近で面倒をみたりどこかへ連れていってくれる学生の委員会があった方がよかった。


6. 研修国での生活

宿舎:
400DM / Month
 宿舎は Studentenwohnheim と呼ばれる大学とは別の他の学校の学生宿舎だった。現地に着いたときには、すでに研修先の秘書さんが用意してくれており、シャワー、トイレつきの広さ14uの一人部屋でベッド、机、小さな物入れが備え付けられていた。キッチンは共同で冷蔵庫内に各自のボックスが割り当てられ鍵をかけられるようになっていた。食べ物や食器をしまっておく収納棚も各自に割り当てられていた。毎週一回キッチンはきれいに掃除されるのでたいていは清潔で快適な環境であったと思う。6階の部屋だったので窓からの眺めもよかった。
 位置的には、研修先からは離れた場所にあった。バス停まで徒歩7分くらいで、研修先までバスで30分かかった。待ち時間も含めると50分くらいで現地ではやや長い通勤時間のようだが、自分の日本での通学時間と同じなので長いとは感じなかった。
 ただ洗濯機がないのは問題だった。歩いて10分くらいのところに共同のコインランドリーがあったが、洗濯だけで一回5DMも費用がかかった。備え付けの洗剤販売機はたいてい洗剤が売り切れており、コインを入れても何も出てこなかった。そのため洗濯物が少ないときは部屋で手で洗った。
 私のいた宿舎は条件の良い宿舎だったようで、AIESECの研修生の話では、もっと費用が高く条件の悪い宿舎もあるようだ。

交通: 57DM / Month  バスの一ヶ月学生定期券
 ドイツの公共交通は日本よりはるかに使い勝手がよいという印象を受けた。特にバスは使い勝手が良い。キールは人口20万人と大都市ではないのだが、バス路線が張り巡らされており、主要な路線は15分に一本くらいの割合で走っている。平日なら始発は4時30分頃、終発は深夜の1時頃で、夜遅くに電車で駅に到着しても困らない。チケットはゾーン制を採用しているので、決められたゾーン内ならどの路線でも利用できる。一回だけの運賃は割高だが、一ヶ月の定期券は非常に割安である。学生定期でなくとも、わずか10日で元のとれる値段である。乗るときにチケットを見せる必要はないが、持ってないと検札に来られたときに罰金を請求される(と貼り紙で警告されている)。バスの長さは日本の通常のバスの2倍で座席もゆったりしている。朝、夕は込み合うが、それ以外の時間帯には必ず座ることができる。ベビーカーを置くスペースもあるし、犬を一緒にのせることもできる。ベビーカーを押している人がバスを乗り降りするときは必ず誰かが率先して助けるので困ることはない。強いて短所をあげれば、揺れが大きいので立っているときはしっかりつかまっていないと振り飛ばされる。(これは日本でも同じだろうか。)
 大都市になるとバス路線の他に S-Bahn と呼ばれる近郊電車や U-Bahn と呼ばれる地下鉄が走っているのでさらに便利である。通常は同じ定期券でバスにも電車にも乗ることができる。
 キールには S-Bahn や U-Bahn はなかったが、湾があるので小さな船を定期券で利用することができた。

旅行:
 Weekend Event に参加したり個人的に旅行する時に、電車を利用した。電車は Deutsche Bahn と呼ばれる国鉄によって一括運営されている。運賃は通常料金で買うと高い。といっても26歳以下ならば、ユース料金が適用され、ICE以外は追加料金も安いので、日本の特急と比較すると安い。(東京−大阪間ならば7000円くらい)。そして、若者にとって最も嬉しいのが、土、日に有効な Schoenes Wochenende Ticket と呼ばれる40DMの超格安切符である。これは日本の青春18切符みたいなもので、ドイツ国内のすべてのローカル線(Regional Express)にその日から次の日の午前3時までの間なら乗り放題、おまけに5人までのグループなら1枚のチケットで乗車することができる。実際はちょうど5人のグループになることは少ないので、駅で互いに声をかけあって行き先が同じ人同士でチケットを共有しあって旅行をするようである。私は一回は4人のインド人と一緒に、後二回は自分一人だけで利用したが相当に割安な旅行ができた。

食事:
 朝食は一人で共同キッチンで、昼食は研究員と一緒にどこかで食べ、夕食は宿舎にいる他の研修生と共同キッチンでとることが多かった。ドイツではレストランに行くとやや高いが(10-20DM)、そうでなければ食費は日本での半額くらいである。Mensa と呼ばれる学食あるいは公共施設の食堂に行くと非常に安い。Mensa では3-5DM、私が研究員によく連れて行ってもらった港湾施設の食堂でも5-8DMだった。スーパーで売られている食料も日本の半額かそれ以下である。ドイツで安くて有名なスーパーが ALDI という店で品数は少なく品質もやや悪いが非常に安い。よく1.5lのオレンジジュースを0.99DMで買って飲んだ。ただ ALDI は営業時間が短く夕方の18:30には閉まってしまうので、帰る途中に駅前で降りて駅近くのスーパーで食料を買うことが多かった。買ってきた食材で簡単な炒め物をして他のインド人の研修生にあげたり、インド人の研修生が作ってくれたカレーのように真っ黄色のスパイスのきいた料理を食べたりした。

他の研修生との交流:
 キールにはイアエステの学生の委員会はなくミーティングもないので、はじめは他の研修生をまったく知らなかった。そのかわりに宿舎の同じ階の人とよく話していた。現地に着いた日に宿舎で隣の部屋のインド人の DP と知り合いになった。彼も私とほぼ同じ期間でプログラミング関係の研修をしたが、イアエステやアイセックなどの学生の交流団体とはまた別のルートで研修にきたようだった。最初の週末には彼と一緒にHamburgに研修にきている彼の友人を訪れ、Hamburg市内を観光した。他にポーランド人の親切な女子学生や、ルーマニア人の教師が生活上の質問にいろいろと答えてくれて助かった。学生寮とはいっても、学生の年齢はかなり高く、多くの教師も居住していた。特に外国人の割合が多くさながら留学生宿舎のようでもあった。
 第2週目の週末に reception committee 主催の小旅行に参加した時に、インドから来ているもう一人のイアエステの研修生 Tonmoy に出会った。同じ工学部門の違う研究室で働いていた。6月はまだ研修には早い時期だからか、キールではイアエステの研修生は私と彼の二人しかいなかった。
 その次の月曜日に、WEB上でアイセックのホームページを見つけオフィスを探し当てて、アイセックのメンバーに入れてもらうことにした。ミーティングでインドから来ている研修生の Manoj 、日本人の玲美、およびポーランド人の Bekka に出会った。キールは研修生が少ないのか、イアエステ、アイセック、その他を合わせても合計で6人しかいなかった。
 6月末には Bekka が帰国したので結局5人になった。ドイツにいながら日本人2人とインド人3人のアジア人ばかりという不思議な組み合わせであった。Tonmoy は別の宿舎に住んでいたが、Manoj と玲美が条件の良いこちらの宿舎に引っ越してきてしかもみな同じ階になった(なるように管理人にお願いした)。同じ階には中国人が2人住んでおり、さらにイラン人が引っ越してきたので、6階はさながらアジア地域のようになった。
 他の階にも別の幾人かのインド人がおりよく一緒に食事をしたり話し合ったりした。

 Weekend Event に参加した時に他の研修生に聞いたところ、ドイツ国内のたいていの都市では研修生が多くイアエステだけで10人くらいはいるのが当たり前のようだったので、キールはとても研修生の少ない街であったと思う。しかし、その分、互いに親密なつきあいができた。今でもときどきメールを交換している。

言葉:
 出発前にはラジオ英会話とビジネス英語でかなり聞き取り訓練をしていたが、会話の経験がほとんどまったくないので、一抹の不安はあった。ドイツ語は大学の教養時代に必修科目として少し勉強していたので、もう一度やり直して簡単な文ならわかる程度にしていった。
 現地に着いてドイツ語をまったく聞き取れないのでドイツ語会話を挑戦するのはすぐにあきらめた。一般的にドイツ人の多くは英語を話すことができ、正しく流暢に話すので、ドイツ語ができなくてもあまり困ることはなかった。街角で突然、英語で道を訊いてもすぐに英語で答えが返ってきた。もちろん、英語を話せない人も多くいるが、その場合はドイツ語でこちらに何か一生懸命伝えようとしてくれた。
 当然のことながら、研修先の人やイアエステ、アイセックのメンバーは全員英語を話すことができた。特に技術系の単語は世界共通で内容も限られているので仕事での会話の問題はなかった。私の聞き取り能力の問題で聞き取れなかったこともしばしばあったが、もう一度言ってくれるように頼めば大丈夫だった。
 現地の人との会話よりもむしろ他の派遣生との会話で苦労した。私はどういうわけか少なくとも10人以上のインド人に出会ったが、インド人の英語発音はヒンディーの訛りが強くしかも母国で話し慣れているのでネィティブと同等に速い。はじめはまったく聞き取れずにショックを覚えた。しかし、後で訊いてみたら、実はヒンディー語を話していたということもあった。インド人の90%がヒンディー語を話し、彼らはヒンディー語と英語を混ぜて話すことが多い。何度聞いても意味のわからない時にはスペリングを言ってもらった。これは最後の手段だがなかなか使える手段である。こちらの発音が悪くて伝わらないときにも使用できる。
 またインド人に限らずにそれぞれの国の人がそれぞれの訛りを持っていてある意味面白かった。タイ人の英語も独特ななまりがあってほとんど聞き取れなかった。中国人や韓国人、香港人は日本人に似た単調な英語であることが多く親近感を感じた。ロシア人の英語はどことなくロシア語っぽい語調があった。
 研修生以外で出会った外国人の中には英語をあまり話せない人もいた。英語は世界の共通語とはいっても、すべての人が学んでいるわけではなく、生活に必要な言葉(ドイツ語)の方がすぐに覚えてしまうようだ。

インターネット:
 研修先では自由にインターネットを使用することができたので非常に役にたった。キールは大都市ではないので、新聞はドイツ語のみしかなく、テレビもなかったので、ニュースはもっぱら日本の新聞のサイトから仕入れていた。また、仕事で、手元にプログラミングの教科書がなくても、ネット上で探して参照することができた。外国にいても日本にいるときと同様の感覚で仕事ができ世界の情勢も知ることができる。インターネットのすばらしい点を実感した2ヶ月でもあった。


7. 研修の総括

 以上、研修内容や研修時の生活について詳細にのべたが、総括すると、三つの点で非常に有意義な研修であったと思う。

1. インターシップの経験
 研修先が大学で勤務時間が自由だったこともあり、働いているいう実感はあまりなかったが、見知らぬ場所で一人でコードを調べたり、研究員の人と仕様を相談しながら、仕事をこなしていくという経験ができた。プログラミング自体は私の趣味でもあり得意とするところなので、自分では大きな仕事をしたという実感はないが、研修先の研究員や教授は高く評価してくれた。

2. 海外での居住
 海外に旅行したことは何度かあったが、海外に居住したことは初めてだった。短期間ではあるが、居住するとなると、衣食住からはじまってあらゆることで現地の生活と関わることになった。通常の海外旅行で10回来るよりもドイツのことをよく知ることができたと思う。ドイツは先進国であるので、慣れてしまうと日本で暮らす場合と大差はないと感じた。言葉の問題と、はじめは誰も知り合いがいないという寂しさがあるが、2ヶ月間の生活の中で異国で生活する自信がついた。

3. 大勢の外国人との交流
 これが今回の研修の最もすばらしい点であったと思う。日本での日常生活では外国人とつきあう機会はめったにないし、日本人同士でも毎日新しい人と出会うことなどない。そういう意味で、Weekend Event で一晩で何十カ国からきた百人近い人と出会うというのは別世界にいるような気分だった。ほぼ毎日、誰かとキッチンで夕食を共にするということも通常では考えがたい。おそらく、ビジネスマンとして海外に派遣されて仕事をする場合には、こんな状況はありえなかっただろうと思う。学生として、そしてイアエステというすばらしい交流団体を通して研修をしたために、非日常的とも思えるほど多くの交流ができた。やや消極的な性格の私にとっては、初対面の人と会話をする自信がついた。

 もう二度と同じ経験をできないと思うと残念ではあるが、これからの生活の中で、世界中の多くの人と交流のある人生を自分で作りあげていこうと感じている。


8. 来年度以降の派遣研修生へのアドバイス

 最大のアドバイスは、ぜひ研修に応募し参加してください、ということである。この研修報告書がこれほど長くなってしまった理由も、多くの日本の学生に研修を知ってもらって参加してほしいと思ったからである。学部4年や修士2年だと論文、就職活動で忙しいので長期間にわたるしかも海外での研修はなかなか決断できない場合が多いと思う。私も、修士2年の夏という研究成果をあげなければいけない時期に2ヶ月以上も日本を留守にすることについて、かなり不安を覚え実際に行こうかやめようかと迷った。結果、研究は一生できるが、学生研修は学生の時しかできないという考えから、研修に参加することにした。昨年に研修に参加した友人の話を聞いていて楽しそうだなと思っていたが、参加して本当によかったと思う。体験談を聞くだけと、実際に自分で体験するのとでは相当な違いがある。体験談は他人によってなされた多くの事の一つにすぎないが、自分の体験は自分だけがなしうることのできるただ一つの事である。研修に参加しなければ一生のうちに決して会うことのないだろう人たちと出会い、生活を共にし、再会を誓って別れるというのは、自分だけの最高のドラマであると思う。
 下手な文句はこのくらいにして、研修の具体的なアドバイスを自分の研修の体験から箇条書きしておこうと思う。必ずしも全員にあてはまるものではないので、あくまでも参考にされたい。

出発前

希望先の選択:
Offerの用紙は隅々までよくよく目を通して希望先を決めましょう。
私は期間の項目の8月を除くというところを見落としてしまい、本当は7, 8月に行きたいと思っていたのに、6, 7月に行くはめになってしまいました。結果的には、うまくいったのですが、研修参加を決断する際には冷や冷やものでした。

希望先の選択:
インターネットを最大限に活用して、研修先の都市に Local committee はあるかどうか、活動は活発かどうかチェックするといいです。ホームページが充実していて、イベント情報がアップデートされているところは、活動が活発である確率が高いと思います。

英語力の証明(ドイツ):
TOEICの点数は参考になりません。語学の先生の評価を要求されるので、できれば、前もって、語学学校の公式テストを受けてスコアをとっておくか(NOVAで尋ねたところ、細かく英語力の評価が成されるテストがありました。ただし、会員以外だと9,000円も費用がかかるらしい。)、可能ならば大学の語学課にお願いするのがよいでしょう。(私の大学ではまったく相手にされなかった。)
間に合わない場合は、場合に応じますが、研究室の指導教官にサインをお願いするのが手っ取りばやいです。

おみやげ(食べ物):
日本のお茶はおみやげに良いといわれますが、独特の香りと味があるために敬遠する人もいます。ふりかけやのりも、ただ渡すだけだと相手はどうやって食べてよいかわかりません。食べ物は自分で必要なものだけ持っていって、現地では何か料理してごちそうしてあげると喜ばれます。寿司は有名でぜひ食べたいとせがまれることがあるので、自分で作ったことのない人は一度練習しておくとよいでしょう。現地では充分な調理器具がないので、ご飯を鍋で炊く練習をしておくといいと思います。

おみやげ(日本のガイド):
日本のことをすべて心得ていてしかも英語で説明できる人はそうそういないと思いますので、講談社とかの「日本を英語で紹介しよう」みたいな本を一冊持っていくといいと思います。かなり評判でした。本はインド人の友人にあげてきました。


研修地で

要求:
何か不満や要求があれば堂々と言うのがいいようです。日本の常識では不可能だろうと思うことがすんなり通ったりします。私は問題はなかったのですが、アイセックで来ているインド人の研修生が前の宿舎に不満を持っていました。費用が高く設備は悪いためです。私の宿舎を訪れて部屋を見たときに、いい部屋だ、来週から住みたいから管理人に頼んでおいてほしい、と私にいいました。一週間後に入るのは無理だろうと思いましたが、管理人さんに問い合わせたら、どこどこの部屋が空くから来週から入れます、ということで彼は次の週から何の問題もなく私と同じ宿舎に住むことができました。ついでにアイセックのもう一人の研修生の部屋もお願いしたらこれもすんなりいきました。日本では宿舎の手続きは面倒で時間がかかるので驚きでした。




作成: 服部 貞昭

最新の原稿は私のウェブページにあります。(2002年3月まで)